むわっ、と顔に迫りくる熱は、寒い日に、ストーブ前にあたる時に似ていた。
一昨日仕事中に母からLINEが入った。
「おじいちゃんが危篤だそうです」
正直、ああそうか…何すればいいんだろう?と思いながら帰路についた。
夕飯を食べ終わると、病院にいた父から息を引き取った連絡が入った。
父方の祖父で、岡山から来た曾祖父から続く旅館業を経営していた仕事人間だったらしい。
小さい頃の記憶で曖昧だが、クソデカい計算機と、大量の書類と、
封筒の封を自動で切る機械(よく無意味に紙を通して切って遊んでいた)が
机の上に置いてあることしか覚えてない。なんじゃそりゃ。
覚えてないのは、親戚づきあいが苦手で、あんまりかかわってなかった所為もあったと思う。
親戚どころか、人付き合いも苦手だ。
じいちゃん達が頑張って経営していた旅館は建物はそのままであって、もうないけど。
翌日には通夜、そして翌々日には告別式。
2親等で身内の不幸は、この歳になって初めての経験になった。
多分、幸せなことなんだろうと思う。
正直思い出も思い入れもなく、実感もわかないし、式でも泣かないと思っていた。
でも実際棺の中の、キレイに死に化粧を施され、生前来ていた背広姿をみて
不思議とこみ上げる物があった。なんでか眼からあふれ出てきてしまった。
すっごい長いお経聞いてても意味がわからないけど自然と涙が出る。
何に対して泣いてるのかもわからないまま。
自分の父が泣いているところも初めて見た。
とても状況がわかりやすく伝わる、よい閉会の言葉だった。
90代を超えて、ガンがわかり、今年になって2回以上腹を切って手術をしたそうだ。
普通だったら腹を切らずにそのままでいる人も少なくはないかもしれないのに。
つい最近、地元の気温差がとても大きくなった。とても寒い日だった。
ガンが直接の原因でなく、トイレからリビングへ帰る途中の温度差、
心臓系で亡くなったそうだ。
わたしもこの前トイレでふんばってたら貧血で冷や汗と視界が真っ黒になってしまって、急いで布団に転がり込んだ。
多分、年を取ったら同じ感じで血管が破れてしぬかもしれない。
出棺前に親戚一同で棺の中に花をたくさん入れ
何とも言えない気持ちで火葬場の奥に入るのを見送り
1時間ちょっと待つと変わり果てた姿になっていた。
普通のひとはあんまり骨が残らないらしいが
じいちゃんのは、どこがどの部分の骨か全部分かるくらいのこっていた。
すごく大きくてしっかりした大腿骨が、仙骨が、胸椎が、肋骨が、顎の骨が。
これが一族を支えた、家系にいた大きい存在だったんだなと。
立派に残った大きな骨をみて、仏になったじいちゃんと、先祖様に畏怖の念を抱いた。
わたしはどう生きていけば後悔もなく、胸を張っていい人生だったと思えるんだろうか?
答えは分からず、少し空になった自分のまま、
パソコンの画面に向かってキーボードを打つしかできなかった。